能持院 (栃木県茂木町)とは? わかりやすく解説

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能持院 (栃木県茂木町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 14:31 UTC 版)

能持院
所在地 栃木県芳賀郡茂木町塩田227
位置 北緯36度32分33.5秒 東経140度12分07.5秒 / 北緯36.542639度 東経140.202083度 / 36.542639; 140.202083座標: 北緯36度32分33.5秒 東経140度12分07.5秒 / 北緯36.542639度 東経140.202083度 / 36.542639; 140.202083
山号 塩田山
院号 能持院
宗派 曹洞宗
創建年 貞応元年(1222年
開基 茂木知基
文化財 能持院総門(栃木県指定有形文化財)、細川家の墓所(栃木県指定史跡)
公式サイト 曹洞宗 塩田山能持院
法人番号 2060005003123
能持院
能持院 (栃木県)
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能持院(のうじいん)は、栃木県芳賀郡茂木町にある曹洞宗寺院

歴史

1222年貞応元年)、茂木知基の開基である。知基は茂木氏の始祖であり、茂木城を築城した人物である。1595年文禄4年)に茂木治良が小川城に移るまで、茂木氏の菩提寺であり続けてきた[1][2]

江戸時代は、茂木藩[3]藩主細川氏の菩提寺になっている[2]

墓地には、細川氏歴代藩主の墓がある。異色なのは、墓標としての墓石を置かず、代わりにの木1本を植えて、手前に没年月日を記した石灯籠を置いている。このような墓制は他に類を見ない[1]

文化財

  • 能持院総門(栃木県指定有形文化財 昭和33年8月29日指定)[4]
  • 細川家の墓所(栃木県指定史跡 昭和33年8月29日指定)[5]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 由緒・沿革能持院
  2. ^ a b 栃木県歴史散歩編集委員会 編『栃木県の歴史散歩(歴史散歩9)』山川出版社、2007年、303-304p
  3. ^ 所領の谷田部に藩庁を移転したこともあるので、「谷田部藩」ともいう。
  4. ^ 能持院総門栃木県
  5. ^ 細川家の墓所栃木県

参考文献

  • 栃木県歴史散歩編集委員会 編『栃木県の歴史散歩(歴史散歩9)』山川出版社、2007年

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