茂木知基とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 茂木知基の意味・解説 

茂木知基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 00:43 UTC 版)

茂木 知基 (もてぎ とももと、生没年不詳)は、鎌倉時代武士八田知家の三男。通称三郎。子に茂木知俊がいる[1]

略歴

建久3年(1192年)、八田知家頼朝から下野国茂木郷の地頭職を与えられた。知家の三男であった知基が現地へ遣わされ、そこで茂木姓を称した[2]。建久6年(1195年)に知基は流鏑馬十六人のうち十一番目の射手として選ばれている。建暦3年(1213年)の泉親衡の乱において親衡の一味に加わって幕府に捕縛されている。その後、許されたようで、承久3年(1221年)の承久の乱に出陣し戦功を挙げた。栃木県芳賀郡茂木町の茂木城は知基が築城した[3]

脚注

  1. ^ 『千葉傳考記六卷』 1916, p. 249.
  2. ^ 茂木氏”. 2022年9月19日閲覧。
  3. ^ 茂木城”. 2022年9月19日閲覧。

参考文献

  • 『千葉傳考記六卷』(国史研究会、1916年、249p)

外部リンク

 




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  茂木知基のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「茂木知基」の関連用語

茂木知基のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



茂木知基のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの茂木知基 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS