聖穆皇后とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 聖穆皇后の意味・解説 

聖穆皇后

(聖穆柴皇后 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:25 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
柴皇后
後周の追封皇后

別称 聖穆皇后
死去 947年以前
配偶者 荘宗後唐)(側室)
  郭威後周
柴守礼
柴栄
テンプレートを表示

聖穆皇后(せいぼくこうごう、? - 947年以前)は、五代十国の人物で、後周の太祖郭威の1番目の妻(即位前没)。皇后を追贈された。姓は柴氏で、世宗柴栄の叔母にあたる。

生涯

邢州竜岡県の人。初め、容色により選ばれ、後唐の荘宗李存勗の後宮に入り、嬪(側室)となった。明宗李嗣源が即位すると、李存勗の妃嬪らは実家に帰された。柴氏はその道中で同郷人の郭威と偶然に出会い、一目ぼれした。柴氏の父は「お前は皇帝の嬪だ、再婚の相手は節度使ぐらいでなければならん。その貧乏人はなんだ」と怒った。柴氏は「彼には優れた力量があり、きっと出世します。皇宮での蓄えから半分、お父様お母様に差し上げます。残り半分を私たちの家産にしますので」と応じ、郭威と結婚した。

郭威は酒や賭博を好み、任侠をこととしたので、柴氏が常にいさめた。早世し、郭威が後周を建てて皇帝に即位すると、皇后を追贈され、「聖穆」とされた。

兄の柴守礼の子である柴栄を育て、柴栄はのちに郭威の後継者となった。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「聖穆皇后」の関連用語

1
38% |||||

2
16% |||||

3
10% |||||

4
10% |||||

5
6% |||||

6
4% |||||

聖穆皇后のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



聖穆皇后のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの聖穆皇后 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS