羽柴小一郎_(秀長の子)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 羽柴小一郎_(秀長の子)の意味・解説 

羽柴小一郎 (秀長の子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 07:18 UTC 版)

羽柴 小一郎(はしば こいちろう、生没年不詳)は、羽柴秀長(後の豊臣秀長)の嫡男。別名木下与一郎または与市郎。夭折したとされる。

概要

羽柴小一郎は、羽柴秀長の長男であり、母は智雲院とみられる。名は木下与一郎(または与市郎)とも伝わる。妻は那古野因幡守(那古野勝泰またはその親族)とされ、その娘・岩(のちの智勝院)を娶った[1]

秀長に直系の男子が残らなかったのは、この小一郎が「若くして亡くなってしまった」ためとされる。没年は明確ではないが、天正10年(1582年)の本能寺の変以前、中国攻めの途中で亡くなったと推測されている。

なお、後に小一郎の妻・岩は羽柴秀長の養女となり、森忠政の正室となった[2]

死亡の時期と混同の指摘

小一郎の死については、紀州の十津川(または十津)で病により没したとする伝承もあるが、これは後年に秀長の養嗣子となった豊臣秀保(甥)の死と混同された可能性があるとの指摘がある。

また、秀長が丹羽長秀の三男・仙丸(後の藤堂高吉)を養子に迎えたのが天正10年であることから、それ以前にはすでに小一郎が亡くなっていたと考えられている。

脚注

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜第1輯』(1917年、759p)
  • 『陶説 第490-495号』(1994年、日本陶磁協会)

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  羽柴小一郎_(秀長の子)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

羽柴小一郎_(秀長の子)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



羽柴小一郎_(秀長の子)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの羽柴小一郎 (秀長の子) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS