練馬側の江古田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:09 UTC 版)
江戸時代の初期、江古田村の村民が村の北側の原野を開拓した。新しい耕地なので江古田新田と呼んだ。現在の江古田駅付近である。江古田新田は1652年(慶安5年)の「江古田名寄水帳」で「新開の分」として他の耕地と区別して記載されている。江古田新田は後に江古田村から切り離され、上板橋村の小名「江古田」となるが、納税は従来通り江古田村の名主が扱った。明治以降、上板橋村の小名江古田は字(あざ)江古田になり、1932年(昭和7年)の東京市の拡大により板橋区江古田町になる。
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