紫垣伴三とは? わかりやすく解説

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紫垣伴三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/15 00:14 UTC 版)

紫垣 伴三(しがき ばんぞう、1841年(天保12年11月[1][2][3][4]) - 1912年(明治45年)6月12日[1][2][3][4])は、明治時代の政治家衆議院議員貴族院多額納税者議員熊本県下益城郡守富村長。

経歴

肥後国下益城郡、のちの熊本県下益城郡守富村(富合村、富合町を経て現熊本市南区)に生まれる[1]1887年(明治20年)以降、下益城郡所得税調査委員、守富村会議員、同村長、熊本県会議員、同常置委員を歴任した[2]

1894年(明治27年)9月の第4回衆議院議員総選挙では熊本県第4区から国民協会所属で出馬し当選[3]。衆議院議員を1期務めた[3]

その後、1895年(明治28年)11月には熊本県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年11月8日[5]から1897年(明治30年)9月28日まで務めた[2]

親族

脚注

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  1. ^ a b c 衆議院事務局 1940, 217頁.
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 1960, 196頁.
  3. ^ a b c d 衆議院、参議院 1962, 232頁.
  4. ^ a b 日外アソシエーツ 2003, 295頁.
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、6頁。
  6. ^ 人事興信所 1928, シ8頁.

参考文献




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