笠石神社 (大田原市)とは? わかりやすく解説

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笠石神社 (大田原市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 04:43 UTC 版)

笠石神社
所在地 栃木県大田原市湯津上430
位置 北緯36度49分08.4秒 東経140度07分19.4秒 / 北緯36.819000度 東経140.122056度 / 36.819000; 140.122056 (笠石神社 (大田原市))座標: 北緯36度49分08.4秒 東経140度07分19.4秒 / 北緯36.819000度 東経140.122056度 / 36.819000; 140.122056 (笠石神社 (大田原市))
主祭神 那須直韋提
創建 元禄5年(1692年
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笠石神社(かさいしじんじゃ)は、栃木県大田原市神社

歴史

1692年元禄5年)に創建された。

1676年延宝4年)、僧侶の円順により那須国造碑が発見された。1683年天和3年)、水戸藩第2代藩主徳川光圀が当地を訪れ、この碑の存在を知った。光圀は碑の重要性を認識し覆堂を建てて保護しようとした。ただ碑の所在地は当時水戸藩領ではなかった。そのため関係当局と折衝を続け、1687年貞享4年)にようやく覆堂を建てて整備した。これが当社の起源であり、神体は那須国造碑そのものである[1]

近くには上侍塚古墳下侍塚古墳があることから、光圀は両古墳の被葬者を碑文にある「那須直韋提」「意斯麻呂」父子と推測、日本初の学術的発掘調査が行われた。責任者は佐々宗淳[2]である。発掘前に「被葬者の眠りを妨げることを謝する」意味で丁重な儀式を執り行い、出土品は全て図面に記録・作成後、元通りに埋め戻し、を植えて墳墓の崩壊を防ぐなど、当時としては最大限の配慮がなされている[1]

文化財

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年、133-135p
  2. ^ 水戸黄門』の助さんのモデルである。
  3. ^ 那須国造碑文化庁「国指定文化財等データベース」

参考文献

  • 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年



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