立家・江戸時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 13:57 UTC 版)
柳原資行の三男の誠光(ともみつ)を祖として江戸時代前期に創設された。当初は北小路と称したが、寛文5年(1665年)7月、願いにより三室戸と改めた。誠光の兄の柳原資廉は霊元天皇の従兄弟にあたり、武家伝奏をつとめて幕府との交渉に活躍し、特に播磨赤穂藩主浅野長矩が饗応役を務めた際に起こった刃傷事件(赤穂事件)の時に江戸城に下向していた。 歴代当主のは多く三位非参議だったが、光村は参議に、能光は権大納言に昇進している。
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