種村佐孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/09 18:28 UTC 版)
![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2010年8月) |
種村 佐孝 | |
---|---|
![]() | |
生誕 |
1904年12月9日![]() |
死没 | 1966年3月10日(61歳没) |
所属組織 |
![]() |
軍歴 | 1925年 - 1945年 |
最終階級 |
![]() |
種村 佐孝(たねむら さこう[要出典] / すけたか、1904年12月9日 - 1966年3月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。三重県出身。参謀本部戦争指導班長を務め、対ソ終戦工作にあたった。主著に『大本営機密日誌』。
概要
太平洋戦争中、陸軍参謀本部戦争指導班長をつとめ、大本営の戦争指導にあたった。
戦争末期、対米降伏・和平交渉はアメリカの偽装であり、対米戦争の継続のためソ連同盟論を主張、対ソ終戦工作に従事する。
戦後にシベリア抑留に遭い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」にて、共産主義革命のための特殊工作員として朝枝繁春、志位正二、瀬島龍三らとともに訓練を受ける。
著作
- 『大本営機密日誌』
関連項目
- 種村佐孝のページへのリンク