秋元啓一
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秋元 啓一 | |
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『アサヒグラフ』1965年5月28日号より
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国籍 | ![]() |
生年月日 | 1930年3月2日 |
没年月日 | 1979年6月27日(49歳没) |
最終学歴 | 東京工業専門学校(現:千葉大学工学部)写真工業科 |
秋元 啓一(あきもと けいいち 、1930年3月2日 - 1979年6月27日)は、日本のカメラマン。 元朝日新聞のカメラマン。作家の開高健と共にベトナム戦争へ特派された。
略歴
- 1951年 - 東京工業専門学校(現:千葉大学工学部)写真工業科卒業
- 1952年 - 朝日新聞出版局出版写真部入社。
- 1964年 - 11月中旬、開高健とともに戦時下のベトナムへ出発した[1]。
- 1965年
- 1977年 - 同社出版社写真部長[4]
代表作
- 「銃殺-ある高校生の死(1965年1月29日、週刊朝日)
- ベトナム戦争当時、ベトコンの疑いで捕まった高校生が公開で銃殺刑に処せられる様子を撮った作品。
出版
- 『ベトナム戦記』(写真、朝日新聞社、1965年)
- 『フィッシュ・オン』(写真、朝日新聞社、1971年)
脚注
- ^ a b 『筑摩現代文学大系 86』, pp. 474–481.
- ^ [書棚と本棚 20編集者の仕事(承前) ]
- ^ 『日本写真年報 1965年版』日本写真協会、1965年6月1日、57-61頁。
- ^ プレス・カメラマン・ストーリー - 東京都写真美術館
参考文献
- 開高健、大江健三郎『筑摩現代文学大系 86 開高健・大江健三郎集』筑摩書房、1976年12月15日 。
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