秀伯との争碁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/28 08:57 UTC 版)
元文4年(1739年)に本因坊秀伯は、七段上手への昇進を安井仙角を通じて5世林因長門入と因碩に同意を求めたが、門入、春碩ともに承知しなかった。そのため秀伯は門入との20番の争碁を出願したが、門入が病気を理由に断ったため、代役として因碩が秀伯との争碁を打つことになる。秀伯先相先で開始、第1局は同年11月11日の御城碁で行われ、翌年6月までに8局打って秀伯4勝3敗1ジゴとなったところで秀伯が病に倒れ中断となる。秀伯はそのまま没し、本因坊家は前代の知伯に続いて七段に届かなかった。
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