福徳寺 (長野県大鹿村)とは? わかりやすく解説

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福徳寺 (長野県大鹿村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 09:57 UTC 版)

福徳寺
本堂
所在地 長野県下伊那郡大鹿村大字大河原字上蔵2004番地[1]
位置 北緯35度33分0.8秒 東経138度3分11.4秒 / 北緯35.550222度 東経138.053167度 / 35.550222; 138.053167座標: 北緯35度33分0.8秒 東経138度3分11.4秒 / 北緯35.550222度 東経138.053167度 / 35.550222; 138.053167
山号 醫王山
宗旨 天台宗
本尊 阿弥陀如来
正式名 醫王山福德寺
福徳寺
福徳寺 (長野県)
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福徳寺(ふくとくじ)は、長野県下伊那郡大鹿村大河原上蔵(おおかわら・わぞ)にある天台宗の寺院。山号は医王山。重要文化財本堂で知られる。 

沿革

本尊台座の嘉吉4年(1444年)墨書銘から、平安時代平治2年(1160年)の創建とされる。南北朝時代宗良親王香坂高宗の元に大河原に滞在した頃には天台宗の修法道場であった。江戸時代天保10年に老中であった水野忠邦が譲渡を求めて自領の浜松藩に移築しようと試みたが、村民等がこれを拒み今日に至る。 

文化財

重要文化財(国指定)

  • 本堂(附 棟札4枚)
室町時代前期の建立で、長野県内では中禅寺薬師堂に次いで古い木造建築である[2]。桁行(正面)・梁間(側面)とも柱間は三間。入母屋造、こけら葺き[3]]。
1912年(明治45年)に当時の古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定された[4]

その他の文化財

アクセス

JR飯田線伊那大島駅から自動車で約45分。

脚注

  1. ^ 福徳寺本堂、文化遺産オンライン
  2. ^ 福徳寺本堂(飯田・下伊那文化財検索)
  3. ^ 福徳寺本堂(八十二文化財団)
  4. ^ 福徳寺 | 大鹿村観光ガイド”. ooshika-kanko.com. 2018年10月19日閲覧。
  5. ^ 木造薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像(八十二文化財団)
  6. ^ 福徳寺仏像(八十二文化財団)

参考文献




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