禅僧との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 03:57 UTC 版)
白居易は仏教徒としても著名であり、晩年は龍門の香山寺に住み、「香山居士」と号した。また、馬祖道一門下の仏光如満や興善惟寛らの禅僧と交流があった。惟寛や、浄衆宗に属する神照の墓碑を書いたのは、白居易である。 『景徳傳燈録』巻10では、白居易を如満の法嗣としている。その他、巻7には惟寛との問答を載せ、巻4では、牛頭宗の鳥窠道林(741年 - 824年)との『七仏通誡偈』に関する問答が見られる。但し、道林との有名な問答は、後世に仮託されたものであり、史実としては認められていない。
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