神應寺 (八幡市)とは? わかりやすく解説

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神応寺 (八幡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 09:03 UTC 版)

神応寺
所在地 京都府八幡市八幡西高坊24
位置 北緯34度53分0秒 東経135度41分59.8秒 / 北緯34.88333度 東経135.699944度 / 34.88333; 135.699944座標: 北緯34度53分0秒 東経135度41分59.8秒 / 北緯34.88333度 東経135.699944度 / 34.88333; 135.699944
山号 糸杉山
宗旨 禅宗
宗派 曹洞宗
本尊 薬師如来
創建年 貞観年間(859年 – 877年
開基 行教
正式名 絲杉山神應禪寺
別称 杉山谷不動尊
文化財 木造行教律師坐像(重要文化財)
法人番号 8130005009033
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神応寺(じんのうじ)は、京都府八幡市にある曹洞宗の寺院。山号は糸杉山(しすぎさん)。本尊は薬師如来

歴史

石清水八幡宮のある男山の北側山腹に位置する。この寺は、貞観年間(859年 – 877年行教によって創建されたと伝えられる。当初は四宗兼学の寺院であったが、室町時代後期に禅宗寺院となる。慶長年間(1596 – 1615年)、尾張国中島郡下津村青松山正眼寺(現在小牧市に移転)の末寺として再興された[1]明治神仏分離以前は、石清水八幡宮の神宮寺であった。

境内

本堂、開山堂、禅堂、書院、庫裏、鐘楼などがあり、やや離れて奥の院の杉山谷不動がある[2]

  • 本堂 - 寛政7年(1795年)の再建。
  • 書院 - 様式から寛永年間(1624 - 1643年)の建立と推定される。伏見城の遺構とも伝えるが定かでない。襖絵は狩野山雪の作と推定される。
  • 鐘楼 - 元禄5年(1692年)の棟札がある。

文化財

  • 重要文化財
    • 木造行教律師坐像

所在地

  • 京都府八幡市八幡西高坊24

近隣施設

脚注

  1. ^ (平井・永井、1999)、p.901
  2. ^ 建物の説明は(平井・永井、1999)、pp.901 – 904、による。

参考文献

  • 圭室文雄『日本名刹大事典』、雄山閣、1992
  • 平井嘉彦・永井規男「神応寺の書院について」『日本建築学会近畿支部研究報告集 計画系』39、1999(CiNiiからアクセス可)



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