神子栄尊とは? わかりやすく解説

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神子栄尊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 03:27 UTC 版)

神子栄尊
建久6年6月26日 - 文永9年12月28日
1195年8月3日 - 1273年1月18日
□光[1]
生地 筑後国
宗旨 臨済宗聖一派[1]
寺院 肥前万寿寺、肥前報恩寺、筑後朝日寺筑前薦福寺、豊前円通寺、同国妙楽寺[1]
釈円栄朝円爾弁円
弟子 徹叟道英、亨庵宗元、楽山、一関祖丘、神光了因、蔵山順空[1][2]
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神子栄尊(じんし えいそん)は、鎌倉時代前期の臨済宗聖一派平康頼の子[3]。母は筑後国三潴荘の住人藤吉種継の娘[1]

経歴・人物

はじめ筑後永勝寺の元珠法師の室に入り天台宗を学び、13歳で剃髪[1]承久元年(1219年)、上洛し建仁寺に入る[1]貞応2年(1223年)、円爾弁円と共に上野長楽寺釈円栄朝に参じる[1]天福元年(1233年)、長楽寺を辞し、嘉禎元年(1235年)に円爾弁円と共に渡する[1]。円爾は径山の無準師範に参じ、栄尊は江南の諸刹を巡ったのち円爾と合流する[1]暦仁元年(1238年)、帰国する[1]仁治2年(1241年)、肥前佐賀郡に万寿寺をひらき、ほか肥前報恩寺、筑後朝日寺筑前薦福寺、豊前円通寺、同国妙楽寺の開山となった[1]。遺偈に「伝不伝々、何正何偏、途中家舎、両脚蹈天」[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.304(1985)
  2. ^ 人名規範資料庫、2019年1月28日閲覧。
  3. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『神子栄尊』 - コトバンク



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