社村_(鳥取県東伯郡)とは? わかりやすく解説

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社村 (鳥取県東伯郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 15:18 UTC 版)

やしろそん
社村
廃止日 1953年10月1日
廃止理由 新設合併
倉吉町西郷村、上井町、上小鴨村社村上北条村北谷村、高城村、灘手村(一部)→ 倉吉市
現在の自治体 倉吉市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,884
国勢調査、1950年)
隣接自治体 灘手村、上北条村、倉吉町、北谷村、高城村
社村役場
所在地 鳥取県東伯郡社村大字国府
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社村(やしろそん[1])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の倉吉市の一部にあたる。

地理

久米が原台地の東部、国府川の中下流域に位置していた[2]

  • 山岳:四王寺山[3]

歴史

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡黒見村、横田村、福光村、国分寺村、秋喜村、国府村、大谷村、不入岡村、和田村が合併して村制施行し、社村が発足[1][2]。旧村名を継承した黒見、横田、福光、国分寺、秋喜、国府、大谷、不入岡、和田の9大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1903年(明治36年)畜産振興のため大字大谷に種畜場を設置し1912年(大正元年)廃止[2]。1915年(大正4年)に再開し1928年(昭和3年)まで存続した[2]
  • 1934年(昭和9年)国府川の大洪水で大字福光・秋喜・国分寺・国府は荒廃したが、耕地整理組合を設立して復旧に尽力し、1936年(昭和11年)に完成[2]
  • 1953年(昭和28年)10月1日、東伯郡西郷村、上井町、倉吉町、上小鴨村、上北条村、北谷村、高城村、灘手村(一部)と合併し、市制施行して倉吉市を新設して廃止された[1][2]。合併後、倉吉市大字黒見・横田・福光・国分寺・秋喜・国府・大谷・不入岡・和田となる[2]

産業

  • 農業[2]
  • 産物:スイカ、サツマイモ、陸稲、養蚕[2]

教育

  • 1873年(明治6年)不入岡学校、島田学校開校[2]。1874年(明治7年)2校を統合し国分寺学校となる[2]。その後、国分寺小学校、国分寺尋常小学校を経て、1889年(明治22年)社尋常小学校に改称[2]。1900年(明治33年)高等科設置[2]。1941年(昭和16年)社国民学校を経て、1947年(昭和22年)社小学校に改称[2]。(現倉吉市立社小学校
  • 1947年、社・北谷・高城3か村組合立久米中学校を大字横田に開校[2]。(現倉吉市立久米中学校
  • 1887年(明治20年)県立倉吉農学校が大字大谷の久米が原台地に新築移転[2]。(現鳥取県立倉吉農業高等学校

名所・旧跡

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』806頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』781頁。
  3. ^ 「大谷〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』173頁。

参考文献

関連項目




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