石水時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:56 UTC 版)
1894年、肺結核を発病した。同年1月、禁欲生活で体力が落ちた体で、厳寒の京都で前法主の葬儀に参列した清沢は屋外に立ち続けた。これが引き金といわれる。1896年に京都府愛宕郡白川村(現在の京都市左京区)に移り住む。白川党の宗門改革運動を始める。今川覚神や稲葉昌丸らと『教界時言』を発刊、東本願寺における近代的な教育制度・組織の確立を期して種々の改革を建議・推進し、しばしば当局者と対立し、宗門からの除名処分を受ける。
※この「石水時代」の解説は、「清沢満之」の解説の一部です。
「石水時代」を含む「清沢満之」の記事については、「清沢満之」の概要を参照ください。
- 石水時代のページへのリンク