石川定辰
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石川 定辰(いしかわ ていしん、1880年〈明治13年〉1月4日[1] - 1947年〈昭和22年〉10月6日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
秋田県[2]南秋田郡秋田町中長町(現秋田市中通)出身[3]。新聞記者、秋田時事新聞主幹、秋田新聞社、東北拓殖、東北物産商事、能代無尽各(株)取締役、秋田木工、辛酉銀行各(株)代表取締役となる[2]。
1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙において秋田1区(当時)から立憲政友会公認で立候補したが次点で落選した[4]。1936年(昭和11年)第19回衆議院議員総選挙で立候補したが次点落選。最下位当選者とは1票差だった[5]。しかし、同年12月に同じ選挙区の中田儀直の当選無効により、更正決定で議員となる。1937年(昭和12年)第20回衆議院議員総選挙で落選した[6]。以後の立候補はない。1947年死去。
脚注
参考文献
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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