石崎千松
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 13:27 UTC 版)
石崎 千松(いしざき せんまつ、1897年〈明治30年〉3月5日[1] - 1972年〈昭和47年〉6月12日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
福岡県[2]企救郡、のちの門司市大里御所町(現北九州市門司区)で、石崎作蔵の息子として生まれた[3]。1922年、早稲田大学商科卒[2]。1930年アメリカアラバマ大学大学院経済学科卒、ノースウエスタン大学院政治家で学ぶ[2]。その後は新聞記者となり、日本人会会長、同幹事、日本語学校校長となる[2]。
1946年の第22回衆議院議員総選挙で福岡2区(大選挙区制)から無所属で立候補して当選[4]。当選後は日本民主党準備会[5]、新政会[6]、国民党[7]、国民協同党[8]と変わった。この間、国民党渉外部長、国民協同党中央常任委員を歴任した[2]。1947年の第23回衆議院議員総選挙において福岡2区から国民協同党公認で立候補して落選した[9]。
脚注
参考文献
- 石崎千松のページへのリンク