石島ケ原の合戦(久下田城の戦い)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:42 UTC 版)
「中村時長」の記事における「石島ケ原の合戦(久下田城の戦い)」の解説
天文14年(1545年)、水谷正村は中村領を手中に治めるも玄角の策により中村城が焼失していたために久下田城を宇都宮領との境界近くに築城し、下館城には弟の水谷勝俊を配置した。中村城の戦いの顛末に宇都宮俊綱は憤激し、4月に武田治部太夫信隆を大将に時長、八木岡貞家を先鋒に久下田城に攻め入った。時長は常野の鏡久下田表に水谷勢と戦ったが大将の武田治部太夫信隆、八木岡城主の八木岡貞家が討ち取られてしまい時長は孤軍奮闘なるも旧領を取り戻すことは叶わなかった。
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