知多四国霊場一番札所
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「曹源寺 (豊明市)」の記事における「知多四国霊場一番札所」の解説
“西浦や 東浦あり 日間賀島 篠島かけて 四国なるらむ”——古歌にこのように謡われた知多半島に文化6年(1809)古見村(現、知多市新地)妙楽寺一三世亮山上人が弘法大師の夢告によって知多四国霊場の開創を決意されたのに始まる。岡戸半蔵行者と武田安兵衛という二人の同志を得て開創の大業に着手されたのである。曹源寺には武田安兵衛行者が大師尊像を奉持し来り安置を願った。しかし住職は弘法大師は他宗の宗祖でもあり受け入れる事を逡巡したので、やむなく当村の檀徒総代である彦蔵方に託した。彦蔵曹源寺御堂の一隅に仮安置したところ漸次参拝者が増し弘法堂を建立した。曹源寺が知多四国一番札所に定まったのは当時の当村(大脇村)が知多半島最北端の知多郡であり霊場の札番は右回りによるところである。現在では曹源寺への参拝者は巡礼者を含め年間10万人程である。
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