矢野智彦とは? わかりやすく解説

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矢野智彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/30 08:09 UTC 版)

矢野 智彦(やの ともひこ、1973年10月31日 - )は福岡県出身の日本柔道家。身長176cm。得意技は寝技[1]。現在は環太平洋大学の柔道部監督を務めている[2]

来歴

洞北中学校から静岡県東海大一高校へ進むが、この当時は大きな実績を上げることはなかった[1]

1992年に国際武道大学へ進むと、寝技の名手として知られる柏崎克彦の指導を受けて、1年の時にジュニア体重別71kg級で3位、2年の時には優勝を飾った[3]ブルガリア国際でも優勝した[1]。3年の時には講道館杯で3位となった[4]。4年の時には正力杯の決勝で東海大学4年の中村兼三と寝技のスペシャリスト同士の対戦となるが、判定で敗れて2位に終わった[5]

1996年には東芝プラント建設の所属となった。実業個人選手権で優勝すると、講道館杯でも初優勝を飾った[4][6]。1997年の選抜体重別で3位に入ると、新階級区分となった講道館杯の73kg級で2連覇を果たした[4]。1998年の実業個人選手権では3位だったが、講道館杯では3連覇を達成した[4][6]。1999年の講道館杯では3位にとどまった[4]

引退後は会社の柔道部監督に就任した。さらに、2007年に新設された環太平洋大学女子柔道部の監督になると、総監督であるバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦とともに指導にあたることになった。その一方で、弘前大学の大学院博士課程で古賀とともに社会医学を専攻した。2012年には創部6年目にして優勝大会でチームに優勝をもたらした[7]。また、これまでに2015年の78kg級世界チャンピオンの梅木真美や、2014年の世界選手権70kg級2位のヌンイラ華蓮などを指導した[2]

戦績

71kg級での戦績

73kg級での戦績

  • 1997年 - 講道館杯 優勝
  • 1998年 - 実業個人選手権 3位
  • 1998年 - 講道館杯 優勝
  • 1999年 - 国体 成年男子の部 優勝
  • 1999年 - 講道館杯 3位

(出典[1]、JudoInside.com)

脚注

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