矢島専平
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矢島 専平(やじま せんぺい、1876年〈明治9年〉3月4日[1] - 1955年〈昭和30年〉6月17日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・小倉[3]。
経歴
山口県[2]熊毛郡島田村(周南町、光町を経て現光市)出身[4]。小倉甚吉の三男として生まれ、矢島作郎の養子となる[3]。1898年(明治31年)陸軍士官学校(10期)卒[2][5]。陸軍歩兵大尉となり、日露戦争に参加する。その後、長周銀行頭取、下松銀行、北満州金鉱(株)各取締役となる[2]。
1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙において山口7区から無所属で立候補して当選する[6]。のち、庚申倶楽部に入り、衆議院議員を1期務め、1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1955年死去。
脚注
参考文献
- 『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 下瀬松雪『昭和の周東』防長民報社、1928年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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