ストロングスタイルプロレス
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/07 18:01 UTC 版)
| 種類 | プロレス団体 |
|---|---|
| 略称 | SSPW |
| 本社所在地 | 日本 |
| 設立 | 2005年6月9日 |
| 業種 | プロレス興行・格闘技興行 |
| 事業内容 | プロレス興行、選手育成 |
| 代表者 | 総監:佐山聡 代表取締役社長:平井丈雅 |
| 外部リンク | www |
| 特記事項:2005年から2019年までは「リアルジャパンプロレス」の名称で活動。前身は修斗、掣圏道(掣圏真陰流)。 | |
ストロングスタイルプロレス(Strong Style Pro-Wrestling、略称:SSPW)は、佐山聡(初代タイガーマスク)が2005年に設立した日本のプロレス団体である[1]。設立当初は「リアルジャパンプロレス」(Real Japan Pro-Wrestling、略称:RJPW)の名称で活動していたが、2019年3月15日に現在の名称へ改称された[2]。
概要
佐山聡が提唱する「ストロングスタイル」の復興を掲げ、アントニオ猪木や初代タイガーマスクが活躍した昭和期の新日本プロレスにおける格闘技志向のプロレススタイルの継承を理念としている[3]。佐山が1984年に創始した総合格闘技「修斗」、1999年に設立した武道団体「掣圏道」(後に掣圏真陰流へ改称)の理念を継承し、「真のストロングスタイル復活」をテーマに掲げている[4]。
団体運営には、新日本プロレスで"過激な仕掛け人"として知られた新間寿が会長として参画し[5]、平井丈雅が代表取締役社長として団体運営を担った[6]。新間は佐山のタイガーマスクとしての活動を新日本プロレス時代にプロデュースした人物であり、ストロングスタイルプロレスにおいても団体の方向性に深く関与した[7]。
歴史
設立の経緯
佐山聡は1981年に初代タイガーマスクとして新日本プロレスで一大ブームを巻き起こしたが、1983年8月10日に新日本プロレスとの契約を解除し、理想の格闘技確立を目指して現役を引退した[8][9]。1984年には第1次UWFに「スーパー・タイガー」として参戦し、同年に総合格闘技の元祖とされる「シューティング」(後の修斗)を創始した[10]。1999年には武道団体「掣圏道」を設立し、2004年に「掣圏真陰流」へ名称変更している[11]。
2005年3月11日、佐山は東京ガーデンパレスで記者会見を行い、「ストロングスタイルの復興」を掲げて「リアルジャパンプロレス」の設立を発表した[12]。同年4月16日にスタジオドリームメーカーでプレ旗揚げ戦を開催し、6月9日に後楽園ホールで旗揚げ戦を開催した[13]。旗揚げ戦にはスーパーライダーが入団し、団体の門番として活躍することになる[14]。
団体の発展期(2007年-2016年)
2007年3月7日、佐山の愛弟子である2代目スーパータイガーが後楽園ホールでデビューを果たした[15]。スーパー・タイガーは団体のエースとして成長し、後にレジェンド王座を複数回戴冠することになる。同年9月21日には間下隼人がデビューし、団体唯一の生え抜き選手として現在まで活躍を続けている[16]。
2008年以降も、サミー・リーJr.、ケンドー・ナカザキ、ブラック・シャドー(後のMAX宮沢)、グレート・タイガー など、佐山の理念に共鳴する選手が次々と参戦した。
2016年12月7日の後楽園ホール大会では、タイガーマスク運動の先駆けとなった「伊達直人」を名乗った人物がリングに登壇し、素顔と本名を明かすという感動的なシーンが演出された[17][18]。
改称と新展開(2019年以降)
2019年3月15日、団体名を「リアルジャパンプロレス」から「ストロングスタイルプロレス」へ改称した[19]。これは、より明確に佐山の掲げる「ストロングスタイル」の理念を打ち出すための改称であった。同年には、藤田和之や船木誠勝といった新日本プロレス出身の実力者が参戦し、団体の知名度は更に高まった[20]。
2020年には旗揚げ15周年を迎え、記念大会では団体史上初となる女子プロレスの試合が実現した[21]。朱里、安納サオリ、松本都、彩羽匠といった女子選手が参戦し、新たな展開を見せた[22]。
2021年以降も、タイガー・クイーン、ダーク・タイガー、ダーク・パンサー、ダーク・チーター、ダーク・ウナギ、タイガー・プリンセスなど、タイガーマスクの系譜を受け継ぐ覆面レスラーが次々とデビューしている。
2025年4月21日午後6時47分、団体会長を務めていた新間寿が都内の自宅で90歳で逝去した[23]。佐山は新間の通夜で「タイガーマスクのプロレスを世界中に広めていく」と誓い[24]、新間の意志を継いでストロングスタイルの発展に尽力することを表明した[25]。
理念と特色
ストロングスタイルの継承
佐山が掲げる「ストロングスタイル」とは、昭和期の新日本プロレスにおいてアントニオ猪木が確立した格闘技志向のプロレススタイルを指す[26]。視聴率20%超えの大ブームを巻き起こした当時のプロレスの真剣勝負的な雰囲気と、打撃・投げ技・関節技を総合的に駆使する技術体系の復興を理念としている[27]。
佐山は、修斗や掣圏真陰流で培った格闘技理論をプロレスに還元し、「真摯に捉えるプロレス」を新間寿と共に継承させることを表明している[28]。
国際的な視野
団体創設期から、海外の格闘技関係者との交流も見られた。特に、佐山聡の長年の弟子であるテディ・ペルクは、14歳のときに病弱だった自身を鍛えるために佐山が設立したタイガージムへ入門し、高校卒業後にハワイの大学へ進学した後も佐山との師弟関係を維持してきた[29][30]。現在はストロングスタイルプロレスの国際部長として、団体活動および佐山プロジェクトの運営に携わっている[31]。また、過去にはUWFインターナショナルの海外向け放送で英語実況を担当した経験もある[要出典]。さらに、WWE(フジテレビ放送)、新日本プロレス、全日本プロレスなどの大会やイベントで通訳・翻訳・解説として活動してきた実績もある[32]。
主要人物
佐山聡(初代タイガーマスク)
団体創設者であり、総監を務める。1981年から1983年まで初代タイガーマスクとして活躍し、空中技を駆使したファイトスタイルで国民的な人気を集めた。現役引退後は修斗を創始し、総合格闘技の発展に貢献した[33]。
新間寿
団体会長を務めた。新日本プロレスで専務取締役営業本部長として、アントニオ猪木と共に黄金時代を築いた"過激な仕掛け人"として知られる[34]。初代タイガーマスクのキャラクター創出を手がけ、佐山を「生みの親」として支え続けた[35]。2025年4月21日に90歳で逝去[36]。
平井丈雅
団体の代表取締役社長を務める。佐山の理念に共感し、団体設立当初から運営に携わり、興行の企画・運営を担当している[37]。新間の死後は「米粒ほどのかけらでも受け継がせていただきたい」と新間の仕掛け人魂の継承を誓った[38]。
タイトルホルダー
| タイトル | 保持者 | 歴代 |
|---|---|---|
| レジェンド王座 | 黒潮TOKYOジャパン | 第21代 |
| SSPW女子タッグ王座 | ジャガー横田 藪下めぐみ |
初代 |
所属選手
歴代タイトル
歴代所属選手
脚注
- ^ “初代タイガーマスク リアルジャパンプロレス旗揚げ戦”. 週刊プロレス. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “リアルジャパン12・5後楽園2大カード発表!”. e plus SPICE (2019年11月15日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “佐山聡はタイガーマスクになるべくしてなった男だ”. 東京スポーツ. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “リアルジャパン12・6後楽園をプレイバック”. ENCOUNT (2019年12月6日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “"過激な仕掛け人"新間寿さんの逝去と葬儀日程”. 日刊スポーツ (2025年4月22日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “「ストロングスタイル」平井丈雅代表、90歳で亡くなった新間寿さん悼む”. スポーツ報知 (2025年4月25日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “「初代タイガーマスク」佐山サトル、90歳で亡くなった新間寿さん悼む”. スポーツ報知 (2025年4月24日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “「だらしねえな」屈辱の敗戦…大人気の裏で"タイガーマスク"佐山聡が抱いた苦悩”. Number (2023年8月11日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “佐山聡が語るタイガーマスクを辞めた真相”. Sportiva (2023年10月5日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “About Shooto修斗とは”. 修斗協会公式サイト. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “市街地実戦格闘技・掣圏道についての報告書” (2020年3月15日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “佐山聡リアルジャパンプロレス設立発表”. 東京スポーツ. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “6.9 後楽園:スーツ型道着着用の総合トーナメント”. BOUT REVIEW (2005年6月9日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “初代タイガーマスク公式サイト”. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “リアルジャパン3・7後楽園で2代目スーパータイガーがデビュー”. 週刊プロレス. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “リアルジャパン12・5後楽園2大カード発表”. e plus SPICE (2019年11月15日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “伊達直人こと河村氏「すべての子どもたちへ」全文”. 日刊スポーツ (2016年12月7日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “河村氏「僕と伊達直人の考えがリンク」/一問一答3”. 日刊スポーツ (2016年12月8日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “リアルジャパン9・19後楽園決戦!初代タイガーマスクの一番弟子”. e plus SPICE (2019年9月17日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “藤田和之、スーパー・タイガーに挑戦”. スポーツ報知 (2019年9月12日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “リアルジャパンプロレス、旗揚げ15年目で初の女子プロレス興行開催へ”. スポーツ報知 (2020年2月19日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “リアルジャパン3・19後楽園は"旗揚げ15周年イヤー開幕戦"”. e plus SPICE (2020年3月16日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “ストロングスタイルプロレス 21日に死去した新間寿さん葬儀”. スポーツニッポン (2025年4月22日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “新間寿さん葬儀で佐山聡と藤波辰爾が弔辞”. 日刊スポーツ (2025年4月30日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “「ストロングスタイル」平井丈雅代表、90歳で亡くなった新間寿さん悼む”. スポーツ報知 (2025年4月25日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “リアルジャパン12・6後楽園をプレイバック”. ENCOUNT (2019年12月6日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “代表ごあいさつ・組織概要”. 初代タイガーマスク公式サイト. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “代表ごあいさつ”. 初代タイガーマスク公式サイト. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “アメコミと特撮とプロレスをフリーダムに繋げる男 - テディ・ペルク”. はてなダイアリー (2019年5月9日). 2025年10月28日閲覧。
- ^ “真説佐山サトルノート round 29 文庫の追加取材”. note (2023年10月12日). 2025年10月28日閲覧。
- ^ “所属選手スタッフ紹介”. 初代タイガーマスク公式サイト (2025年8月31日). 2025年10月28日閲覧。
- ^ “アメコミと特撮とプロレスをフリーダムに繋げる男 - テディ・ペルク”. はてなダイアリー (2019年5月9日). 2025年10月28日閲覧。
- ^ “About Shooto修斗とは”. 修斗協会公式サイト. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “新間寿さん葬儀で佐山聡と藤波辰爾が弔辞”. 日刊スポーツ (2025年4月30日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “「初代タイガーマスク」佐山サトル、90歳で亡くなった新間寿さん悼む”. スポーツ報知 (2025年4月24日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “ストロングスタイルプロレス 21日に死去した新間寿さん葬儀”. スポーツニッポン (2025年4月22日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “「ストロングスタイル」平井丈雅代表、90歳で亡くなった新間寿さん悼む”. スポーツ報知 (2025年4月25日). 2025年10月27日閲覧。
- ^ “「ストロングスタイル」平井丈雅代表、90歳で亡くなった新間寿さん悼む”. スポーツ報知 (2025年4月25日). 2025年10月27日閲覧。
外部リンク
- 初代タイガーマスク 佐山サトル&ストロングスタイルプロレス公式 一般社団法人 初代タイガーマスク後援会
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