皇甫曾とは? わかりやすく解説

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皇甫曾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/11 04:47 UTC 版)

皇甫 曾(こうほ そう、開元9年(721年)? - 貞元元年(785年)?[1])は、中国詩人は孝常。安定(現在の甘粛省涇川県)の人。大暦十才子中国語版の一人に数えられることがある[2][3]皇甫冉の弟で、兄に次ぐ文名を誇り、高仲武中国語版によりその詩を程良く華麗で引き締まっていると評された[1]

略歴

安定皇甫氏中国語版の出自。名門の家柄であり、皇甫冉は兄に当たる[1]

天宝12載(753年)、進士に及第し、仕えて侍御史に至る[1]

大暦3年(768年)から大暦6年(771年)の間に舒州司馬へと貶けられ、当時舒州刺史であった独孤及と詩を贈答し合ったというが、その詩は現存していない[4]

大暦8年(773年)以降、前述した独孤及のほか、顔真卿皎然劉長卿戴叔倫張継李嘉祐中国語版らとも交わり[4]、また陽翟県令を務めた[5]

没年の記録はないが、傅璇琮中国語版貞元元年(785年)に没したと推定している[4]

全唐詩』には彼の詩四十八首が収録されており、現存する詩集として『唐皇甫曾詩集』がある[1]

脚注

  1. ^ a b c d e ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『「皇甫曾」の意味・わかりやすい解説』コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E7%94%AB%E6%9B%BE-631862025年11月10日閲覧 
  2. ^ 伊藤正文『「大暦十才子」の意味・わかりやすい解説』日本大百科全書(ニッポニカ)、コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%9A%A6%E5%8D%81%E6%89%8D%E5%AD%90-923022025年11月10日閲覧 
  3. ^ 入谷仙介「大暦の十才子」の意味・わかりやすい解説』改訂新版 世界大百科事典、コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%9A%A6%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%89%8D%E5%AD%90-11824492025年11月10日閲覧 
  4. ^ a b c 傅璇琮中国語版(中国語)『唐代诗人丛考』中華書局、2003年、427〜438頁。ISBN 7101035965 
  5. ^ 李肇中国語版《國史補》卷上:「李翰文雖宏暢,而思甚苦澀。晚居陽翟,常從邑令皇甫曾求音樂,思涸則奏樂,神全 則綴文。」



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