百済王慶命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/01 16:18 UTC 版)
百済王 慶命 (くだらのこにしき きょうみょう、? - 嘉祥2年1月22日(849年2月18日))は、百済王教俊の女で、嵯峨天皇の尚侍。源定[1]、源鎮[2]の母。
概要
『日本三代実録』源定薨伝に母の慶命は「動くに礼則ありて、甚だ尊異される」とあり[1]、嵯峨天皇の寵愛厚く、源善姫・源定・源鎮・源若姫を生んだ[3]。嵯峨天皇の譲位後、承和元年(834年)に嵯峨が内裏近くの冷然院から洛外の嵯峨院に遷った際には、小院という別宮を与えられた[1]。
嘉祥2年1月22日(849年2月18日)、薨去。従一位を贈られ、豊江王、美志真王、藤原緒数、飯高永雄が喪事を監護した[4]。
官歴
- 時期不明:正四位下[5]
- 天長7年(830年)3月12日:正三位[6]。6月24日:特給五十烟[6]
- 承和3年(836年)8月16日:内侍[4]
- 承和8年(841年)11月21日:従二位[4]
- 嘉祥2年(849年)1月22日:薨去。贈従一位[4]
系譜
コトバンクによる
出典
参考文献
- 『大日本史』巻77
関連項目
- 百済王慶命のページへのリンク