病身の身で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/11 05:00 UTC 版)
1924年、古代子はジャーナリスト涌島義博と上京し、東京・牛込で、南宋書院を営む。27年には涌島と結婚し、長女、次女を出産。創作に専念しようとしたが、書院の経営が悪化していったことと、自身も胸を病み、神経症など病状が悪化し、鳥取に帰郷した。帰郷後も、創作を発表していたが、1935年4月20日、睡眠薬の大量服用で自殺。38歳の生涯を終えた。
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