町の序列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 07:51 UTC 版)
仙台の城下町は、武家屋敷、町人屋敷、寺社地に区分される。町人町は江戸時代中期までに24になり、町列と呼ばれる序列が定められた。その上位を御譜代町が占めた。大町、肴町、南町、立町、柳町、荒町の順番である。はじめ、御譜代町は城下の中心に、城に寄せて固めて配置されたが、柳町と荒町が後に南東の奥州街道沿いに移った。 それぞれの町には、町役人である検断とその補佐である肝入(肝煎)が置 かれて支配した。御譜代町の町役人の家についていくつか知られるところでは、彼らは町とともに移り住んだというだけでなく、戦国時代に伊達氏に従軍して戦ったという由緒を持っていた。 6町のうち、大町は「○丁目」で分けられた仙台で唯一の町である。もとは一から五丁目までまとめて検断の青山氏が支配したが、慶長10年頃(1605年)に一二丁目と三四五丁目に行政単位が分割された。分割当初は、月行司の輪番制で運営した一二丁目が、青山家を引き続き検断とした三四五丁目より上位にあった。一二丁目は、承応2年(1653年)に月行司を廃止して検断と変わらない年行司をおき、米川家に委ねた。町列は検断の席次に反映されるので、一二丁目を町列の上位にすると、他の町の検断が新たに年行司になった米川家より下に置かれてしまう。それを避けるため、一二丁目は町列を18番目まで下げられた。
※この「町の序列」の解説は、「御譜代町」の解説の一部です。
「町の序列」を含む「御譜代町」の記事については、「御譜代町」の概要を参照ください。
- 町の序列のページへのリンク