琉球正史による評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 11:56 UTC 版)
「護佐丸・阿麻和利の乱」の記事における「琉球正史による評価」の解説
「中山世鑑」ほか正史によると、勝連城の按司であった阿麻和利は首里城を陥落させ王位に就こうと野心を抱いていた。尚泰久は娘の百度踏揚を阿麻和利に嫁がせ、忠臣の護佐丸を読谷山の座喜味城から中城城の按司に任じて牽制した。 これに対して阿麻和利は、護佐丸が兵馬を訓練して力をつけ、反逆を企てていると讒言した。泰久王は疑いつつも、実際に護佐丸が軍備を整えているのを知り、阿麻和利に護佐丸を討たせた。しかし、護佐丸には謀反の心はなく、抵抗せずに自刃した。阿麻和利は今度は泰久王を狙おうとしたが、妻に嫁いでいた百度踏揚と付き人の越来賢雄(鬼大城)がこれを知らせたので、王は阿麻和利を討ったという。
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