王韜_(民国)とは? わかりやすく解説

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王韜 (民国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 14:38 UTC 版)

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王 韜(おう とう、中国語: 王韜; 拼音: Wáng Tāo; ウェード式: Wang T'ao1880年光緒6年) - ?)は、中華民国の政治家。子猷山東省登州府福山県の人。清末の改革派思想家として著名な王韜とは同姓同名の別人である。

事績

清朝では湖広総督衙門文案(文書係のこと)や駐日公使館翻訳(通訳のこと)を務めた。中華民国成立後は、奉天省財政庁で総収支となり、後に浙江省繭捐局局長、河南直隷の両省で県知事、東北政務委員会総務処主任を歴任した。1930年民国19年)、北平市政府財政局局長兼市長代理を務め、翌年には同市政府参事となった。1933年(民国22年)10月、天津市長に就任し、翌1934年(民国23年)冬まで務めた。それ以後の王韜の行方は不詳である。[1][2]

  1. ^ 徐主編(2007)、58頁。
  2. ^ 劉国銘主編(2005)、111頁。

参考文献

  中華民国 (国民政府)国民政府
先代:
于学忠
天津市長
1933年10月 - 1934年
次代:
張廷諤



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