玉座への野心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 08:57 UTC 版)
「フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン (1854-1888)」の記事における「玉座への野心」の解説
フリードリヒ・ヴィルヘルムは統治する邦を失った諸侯家の当主という地位に甘んじることなく、まだ存在していた君主国の空位となった玉座に就くことを望んだ。1884年、ブラウンシュヴァイク公ヴィルヘルムが継嗣なく死去したことで後継者問題が発生した。フリードリヒ・ヴィルヘルムはブラウンシュヴァイク公国の摂政就任を目指して動いたが、プロイセン政府の猛抗議を受けて摂政の座を諦めた。1887年アレクサンダー・フォン・バッテンベルクがブルガリア公国元首の座を追われると、今度はブルガリア公の候補に名を連ねたが、列強国はハンガリー貴族のザクセン=コーブルク公子フェルディナントを選んだ。
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