物外の武術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 13:57 UTC 版)
柔術は高橋猪兵衛満政について習った難波一甫流柔術である。物外自身は不遷流を称した。鎖鎌は山田流、槍術は宝蔵院流、馬術は大坪流であった。武芸中、もっとも得意としたのは鎖鎌だったという。 出雲国宗泉寺に滞在中、松江藩の直信流柔道第10代師範、石原左伝次の門人、小倉六蔵(後の第11代師範、堤六太夫重正)が、物外と試合して勝った。「雲藩の柔道は強いわい」と、さすがの物外も舌を巻いたという。松江での伝承なので自藩に有利な内容に伝えている可能性もあるが、事実だとすれば物外が試合して敗れたという唯一の例である。 芸州に滞在していた戸塚派揚心流の柏崎又四郎と一般観覧の下で試合し僅か一二合で柏崎に倒されたという。
※この「物外の武術」の解説は、「武田物外」の解説の一部です。
「物外の武術」を含む「武田物外」の記事については、「武田物外」の概要を参照ください。
- 物外の武術のページへのリンク