牟岐浦異国船漂着事件とは? わかりやすく解説

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牟岐浦異国船漂着事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 00:15 UTC 版)

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牟岐浦異国船漂着事件(むぎうらいこくせんひょうちゃくじけん)もしくは異国船牟岐浦漂着事件(いこくせんむぎうらひょうちゃくじけん)は、1830年1月14日(旧暦:文政12年12月20日)にイギリス黒船が現在の徳島県沿岸に出没した事件。

概要

文政12年12月20日午前9時ごろ、イギリスの黒船が現在の美波町日和佐沖合に現れ、その後、牟岐町沖に移動した。徳島藩は、藩士や農民を動員して沿岸を警備。同月23日、徳島藩は異国船打払令に従って発砲したところ、船は出港して行方不明になった。2015年以降に資料の再発掘、評価が行われた結果、漂着した船はイギリスの支配下にあったオーストラリアタスマニア島で、護送中の囚人が反乱を起こして奪ったキプロス号と判明している[1]

日本初のブーメラン投擲

徳島藩士である廣田勘左衛門がまとめた報告書『文政十二年十二月異国船牟岐浦漂着一件留書』では、徳島藩が船に接近した際に投げ込まれた「く」の字の物体が記されており、オーストラリアアボリジニが使用していたブーメランではないかと考えられている[2]

脚注

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  1. ^ 幕末・牟岐沖漂着の異国船 英囚人強奪の海賊船か”. 徳島新聞 (2017年6月1日). 2019年10月3日閲覧。
  2. ^ 国内初か、ブーメランの絵が江戸後期の徳島藩史料に 豪海賊船漂着報告書で「く」の字に図示”. 徳島新聞 (2019年10月1日). 2019年10月3日閲覧。

関連項目




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