滝川宗次とは? わかりやすく解説

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滝川宗次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/17 13:57 UTC 版)

 
滝川 宗次
時代 江戸時代前期
生誕 慶長11年(1606年[1]
死没 延宝7年9月28日1679年11月1日[2]
別名 権之助、壱岐、丹波、縫殿[3]
主君 池田光政
岡山藩
氏族 滝川氏
父母 父:滝川辰政
兄弟 宗次、求馬[4]
一宗[5]一信[6]
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滝川 宗次(たきがわ むねつぐ)は、江戸時代前期の岡山藩士。通称は権之助、壱岐、丹波、縫殿[3]

生涯

慶長11年(1606年)、姫路藩池田輝政の家臣で2000石(のち3000石)を知行する滝川辰政の嫡男として播磨国姫路で生まれた[2]

寛永18年(1641年)、岡山藩池田光政から父辰政と別に500石を与えられ、高齢の父の名代を務めるようになった[7]

慶安元年(1648年)、父の隠居により家督を継ぎ、家禄3000石を相違なく与えられて組足軽30人を預かった。このとき、宗次が知行していた500石は末弟の求馬に与えられて別家を起こした[4]

寛文2年(1662年)、嫡男の一宗が光政の娘六姫の再婚相手に選ばれるが[8]延宝2年(1674年)、父に先立って死去した(狂気して自害したと伝わる)[9]

このため四男杢之丞(一信)を嫡男に立て[6]、延宝6年(1678年)に隠居して家督を譲った[2]

延宝7年(1679年)死去。享年74[2]

脚注

  1. ^ 倉地克直 1993, p. 46.
  2. ^ a b c d 瀧川系図, 47コマ.
  3. ^ a b 瀧川系図, 37コマ.
  4. ^ a b 倉地克直 1993, p. 65.
  5. ^ 永山卯三郎 編『倉敷市史』 第7冊、名著出版、1973年、116頁。 NDLJP:9573734/85(要登録)
  6. ^ a b 池田利隆公大坂御陣御供諸士四十九家之記, 4コマ.
  7. ^ 倉地克直 1993, pp. 47–48.
  8. ^ 池田家履歴略記, p. 257.
  9. ^ 池田家履歴略記, p. 400.

参考文献




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