溝尾茂朝
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溝尾 茂朝(みぞお しげとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。明智光秀の家臣。明智五宿老の一人。
- ^ 通称は小兵衛、昌兵衛、惣兵衛、勝兵衛、庄兵衛など書かれるが、それぞれ同音の異表記で、どの表記が正字なのかはよくわからない。
- ^ a b c 谷口研語『明智光秀 浪人出身の外様大名』〈洋泉社歴史新書y〉2014年、208-210頁。
- ^ 高柳光寿『明智光秀』吉川弘文館〈人物叢書〉、1958年、6頁。
- ^ 中道院文書・橋本文書
- ^ 藤本正行『本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意』〈洋泉社歴史新書y〉2010年、221-222頁。
- ^ 『福井県史』通史編3 近世1「織田信長と一向一揆 信長と越前支配」信長の本知安堵、北庄三人衆、長俊の滅亡「福井県文書館」HP 2015年3月7日閲覧
- ^ 谷口研語『明智光秀 浪人出身の外様大名』、210頁。
- ^ 谷口克広「信長家臣人名辞典【第二版】p.458「三沢秀次」」 吉川弘文館
- ^ フロイス『イエズス会士日本通信』では4人。『当代記』では5人。
- ^ 18日浅野長政宛て秀吉書状でも「明智め山科の藪の中へ逃れ入り、百姓に首をひろわれ申し候」としている。「浅野家文書」谷口研語『明智光秀 浪人出身の外様大名』、202-207頁。
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