渡辺和三とは? わかりやすく解説

渡辺和三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 20:44 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
オリンピック
クレー射撃
1992 バルセロナ トラップ

渡辺 和三(わたなべ かずみ、1947年10月30日 - 1996年8月2日)は、神奈川県出身のクレー射撃選手。1992年バルセロナオリンピッククレー射撃トラップ銀メダリスト[1]

略歴

1980年モスクワオリンピック日本選手団に選考されるも、アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)の影響により、日本が大会不参加を決めた事で不出場に終わる。

続く1984年ロサンゼルスオリンピックでは、クレー射撃トラップにて総合11位。1988年ソウルオリンピッククレー射撃トラップでは総合6位と着実に順位を伸ばしていった。

自身3度目の五輪参加となる1992年バルセロナオリンピック、8月2日のスペインモリェト五輪射撃場でのトラップ決勝ラウンドにて、渡辺は20歳年下のチェコスロバキア(当時)のペトル・フルドゥリチカチェコ語版と共に同点1位となり、サドンデスシュートオフ[注釈 1]に進出したが、2番射台にて左に切れたクレーを失中した事でフルドゥリチカに敗れ、銀メダルとなった[2]。この時の使用銃は日本製のミロク・5000T[3]。敗れたものの、渡辺はアジア人男性史上初[注釈 2]のクレー射撃でのメダル獲得の快挙に、愛銃を手にガッツポーズで喜びを表した[4]

44歳でのメダル獲得はバルセロナオリンピック日本選手団での最高齢記録。渡辺の活躍は、2012年現在まで日本人がオリンピックのクレー射撃でメダルを獲得した唯一の事績[注釈 3]となっている。

1996年8月2日、多発性骨髄腫のため死去。アトランタオリンピックの開催期間中であり、バルセロナで銀メダルを獲得した日が命日となった。現在、神奈川県立伊勢原射撃場に渡辺の生前の功績を記した記念碑が残されている。

脚注・注釈

脚注

  1. ^ 渡辺和三”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。
  2. ^ ロンドンオリンピック2012 クレー射撃 概要・説明 - 日本オリンピック委員会
  3. ^ クレー(トラップ)射撃銃の選択 - カンダスポーツ”. 2011年12月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年8月9日閲覧。
  4. ^ バルセロナ五輪クレー・トラップのシュートオフで銀メダルが決まり喜ぶ渡辺和三選手=1992年平成4年)8月、モリェト五輪射撃場(共同)- 共同通信社ニュース特集:北京五輪

注釈

  1. ^ 通常1枚辺り2発射撃可能なトラップ競技において、1枚1発の射撃しか許されず、失中した時点で敗退となる特別ルール。
  2. ^ アジア人全体では7月28日のスキートにて金メダルを獲得した中国張山(女性)が史上初で、渡辺は二人目となる。
  3. ^ 同時に、国産散弾銃がメダルを獲得した初の事例でもある。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「渡辺和三」の関連用語

渡辺和三のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



渡辺和三のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの渡辺和三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS