渡嘉敷通寛
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渡嘉敷 親雲上 通寛(とかしき ウェーカタ つうかん、乾隆59年[1](1794年) - 道光29年[2](1849年))は琉球国第二尚氏王統の人。医師で本草学者。首里出身。幼名は眞三郎(まさんらー)。唐名は呂 継続(りょ けいぞく)。
- ^ 尚穆43年
- ^ 尚泰2年
- ^ または、まかまどぅ
- ^ 『沖縄大百科事典 中』(沖縄大百科事典刊行事務局・沖縄タイムス社、1983年)p919
- ^ 『最新版 沖縄コンパクト事典』琉球新報社刊 2003年3月
- ^ 『沖縄大百科事典 中』(沖縄大百科事典刊行事務局・沖縄タイムス社、1983年)p919
- ^ その当時の士族階級が食べた食品を分類、琉球通名に対照した漢名、特効等を記したもので、さらに通寛の経験したことも加筆されている。(『那覇市史 通史篇 第1巻』(那覇市企画部文化振興課著、那覇市役所刊、1985年)
- ^ 『沖縄大百科事典 中』(沖縄大百科事典刊行事務局・沖縄タイムス社、1983年)p919
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