清須市西枇杷島問屋記念館とは? わかりやすく解説

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清須市西枇杷島問屋記念館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/21 03:57 UTC 版)

清須市西枇杷島問屋記念館[1]
(旧山田九左衛門家住居)
所在地 愛知県清須市西枇杷島町西六軒20番地[1]
位置 北緯35度11分35.8秒 東経136度51分43.5秒 / 北緯35.193278度 東経136.862083度 / 35.193278; 136.862083座標: 北緯35度11分35.8秒 東経136度51分43.5秒 / 北緯35.193278度 東経136.862083度 / 35.193278; 136.862083
旧所在地 愛知県西春日井郡西枇杷島町橋詰町51番地(現在の清須市西枇杷島町橋詰)
類型 町家
形式・構造 木造2階建[1]
敷地面積 1,391.55m2[1]
延床面積 151.62m2
(うち主屋:98.82m2、離れ:52.80m2[1]
建築年 明治初期[1]
文化財 市指定有形文化財
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清須市西枇杷島問屋記念館 (きよすしにしびわじまとんやきねんかん)は、愛知県清須市にある記念館

概要

江戸時代徳川家康の命により山田家と野口家が創設した青果市場「下小田井の市」[2]。その創始者の一人といわれる山田九左衛門家の邸宅を1992年平成4年)5月に移築復元したもので、1993年(平成5年)4月に西枇杷島町問屋記念館として開館した[1][3]

建物が建築されたのは明治初期だが、江戸時代の青物問屋の様式を現在に残す貴重な建築物となっている。1993年(平成5年)6月19日には西枇杷島町有形文化財に指定され、2005年(平成17年)の清須市の発足に伴い市の有形文化財となった[4]1994年(平成6年)度には第2回愛知まちなみ建築賞を受賞している。

館内は当時の商いや暮らしの様子を再現したものとなっており、資料展示が行われている[5][6]

交通アクセス

出典

  1. ^ a b c d e f g 平成14年度 文化財保護事業計画”. 清須市. 2018年1月8日閲覧。
  2. ^ 問屋記念館”. 愛知エースネット. 愛知県総合教育センター. 2018年1月8日閲覧。
  3. ^ 愛知県博物館協会40年史 (PDF)”. 愛知県博物館協会. p. 105 (2005年3月31日). 2018年1月8日閲覧。
  4. ^ 資料3 清須市文化財関係等一覧表 (PDF)”. 清須市. 2018年1月8日閲覧。
  5. ^ a b c 清須市問屋記念館”. 愛知県生涯学習情報提供システム. 愛知県. 2018年1月8日閲覧。
  6. ^ 清須市西枇杷島問屋記念館”. いつもNAVI. ゼンリン. 2018年1月8日閲覧。
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