清水寺信号場とは? わかりやすく解説

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清水寺信号場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 15:50 UTC 版)

清水寺信号場
きよみずでら
Kiyomizudera
米子 (5.0 km)
(3.8 km) 安来
所在地 島根県安来市島田町
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 山陰本線
キロ程 328.0 km(京都起点)
駅構造 地上
ホーム 2線
開業年月日 1964年昭和39年)10月1日[1]
廃止年月日 1982年(昭和57年)6月24日[1]
備考 信号場開設前に、より米子寄りの地点に清水寺仮停車場が開設されていた時期あり[1]、信号場廃止直前の京都起点のキロ程は329.6キロメートル[2]
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清水寺信号場(きよみずでらしんごうじょう)は、1964年から1982年まで島根県安来市にあった、日本国有鉄道(国鉄)山陰本線信号場である。米子駅 - 安来駅間に所在していた。単線区間の列車交換用に開設されたが、末期は単線区間と複線区間の境界信号場であった。

清水寺は、信号場から南西2キロメートルほどのところにある古寺である[3]

歴史

清水寺信号場開設以前、1915年(大正4年)3月31日に当時の能義郡島田村大字門生に、「毎年必要の時期に限り旅客、手荷物、小荷物の取り扱いを為す」という仮停車場として、清水寺仮停車場が設置されていた[4]。米子から2.4マイル、安来から3.1マイルの地点で、メートル法施行後は米子から3.9キロメートル、安来から4.9キロメートルの地点となった。清水寺信号場開設と同日廃止された[1]

1964年(昭和39年)10月1日、列車交換を目的として清水寺信号場が開設された。島田踏切の東側の地点であった[5]。キロ程は米子から5.0キロメートル、安来から3.8キロメートルとされ[1]、清水寺仮停車場より1.1キロメートル安来側に位置することになる。

山陽新幹線の開通後、伯備線を経由しての陰陽連絡輸送が強まり、山陰本線のこの区間も輸送の伸びが期待されるようになった。1982年(昭和57年)秋に開催される島根国民体育大会(くにびき国体)に間に合うように、伯備線と山陰本線伯耆大山 - 出雲市間の電化と、米子 - 安来間の複線化が実施されることになった[2]。複線化は2段階に分けて行われ、1982年(昭和57年)6月18日に清水寺信号場 - 安来間が複線化されてこの時点で単線・複線境界の信号場となった。そして6月24日に米子 - 清水寺信号場間も複線化され、これに合わせて清水寺信号場も廃止となった[5]。7月1日に電化開業となった[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、308頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b c 日本国有鉄道大阪工事局 編『大阪工事局60年史』日本国有鉄道大阪工事局、1986年12月、54-55頁。doi:10.11501/12048095 
  3. ^ 宮脇俊三原田勝正 編『全線全駅鉄道の旅 7 (北陸・山陰JR私鉄2300キロ)』小学館、1991年5月、170頁。doi:10.11501/13326731 
  4. ^ 鉄道院告示第24号
  5. ^ a b 小野田茂「日本最初の鉄道用鉄筋コンクリート構造物」『鉄道ファン』第773号、交友社、2025年9月、112-117頁。 



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