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浦野錠平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/01 04:34 UTC 版)

浦野 錠平
生年月日 1861年2月2日
出生地 三河国加茂郡四郷村
(現在の愛知県豊田市
没年月日 (1909-03-25) 1909年3月25日(48歳没)
所属政党 自由党
憲政党
子女 浦野謙朗(息子)
選挙区 愛知県第9区
当選回数 2回
在任期間 1898年3月15日 - 1902年8月9日
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浦野 錠平(うらの じょうへい、1861年2月2日万延元年12月23日[1])- 1909年明治42年)3月25日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

1861年(万延元年)、三河国加茂郡四郷村(のち愛知県西加茂郡上郷村、猿投村、猿投町を経て現豊田市)に生まれた[3]。生家は浦野酒造場(後の浦野合資会社)を営む庄屋の浦野家[4]

普通学を修得し[3]、農業と酒造業を営む[3][2]学務委員、上郷村会議員、同村長、西加茂郡会議員、愛知県会議員[2]、県税賦課額調査委員、県道改修委員、勧業諮問会員となった[3]

1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知9区から自由党公認で立候補して初当選する[5]。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選する[6]。1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1909年(明治42年)に死去した。

親族

長男の浦野謙朗は1924年(大正13年)に衆議院議員に就任した[1]

脚注

  1. ^ a b 豊田市史 人物編, pp. 341–342.
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』98頁。
  3. ^ a b c d 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年、325頁。NDLJP:778032 
  4. ^ 「菊石の魅力」『ぶらりん 豊田北』chaoo、第52号、2021年2月号
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』27頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』32頁。

参考文献

  • 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 豊田市教育委員会、豊田市史編さん専門委員会編『豊田市史 人物編』豊田市役所、1987年3月1日。 



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