浦野錠平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 08:46 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動浦野 錠平(うらの じょうへい、1861年(万延元年12月[1][2]) - 1909年(明治42年)3月25日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
三河国加茂郡四郷村(のち愛知県西加茂郡上郷村→猿投村→猿投町→豊田市)出身[1]。普通学を修得し[1]、農業と酒造業を営む[1][2]。学務委員、上郷村会議員、同村長、西加茂郡会議員、愛知県会議員[2]、県税賦課額調査委員、県道改修委員、勧業諮問会員となった[1]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知9区から自由党公認で立候補して初当選する[3]。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選する[4]。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1909年に死去した。
脚注
参考文献
- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 豊田市教育委員会、豊田市史編さん専門委員会編『豊田市史 人物編』豊田市役所、1987年3月1日。
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