津山藩による郷蔵事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 01:27 UTC 版)
11月24日、幕府から「津山藩の石高を10万石から5万石の半減とする」との知らせが津山に届く。久保新平は、減封の対象が真島・大庭の両郡であると判断する。領地を取り上げられる前に年貢米を持ち出そうと、大庭郡久世村(現 真庭市久世)に出張中の役人である井九太夫に、久世の郷蔵から年貢米を運び出すことを命じる。 11月28日、年貢米を船に積んで旭川を下ろうとしたところを農民に見つかる。農民は米を戻すことを要求するが、翌朝に船はそのまま下る。農民の藩への不信が爆発した。
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