沈相薫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 沈相薫の意味・解説 

沈相薫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 07:00 UTC 版)

沈 相薫
各種表記
ハングル 심상훈
漢字 沈 相薫
発音: シム・サンフン
テンプレートを表示

沈 相薫(シム・サンフン、: 심상훈 1854年 - 1907年)は、李氏朝鮮から大韓帝国の政治家。本貫青松沈氏朝鮮語版は舜歌、諡号は忠肅公。

人物

高宗の母方の従弟で、且つ閔升鎬の外甥にあたる。1874年に科挙の文科に及第、1878年に正三品堂上に昇進、平安道成川府使、寧辺府使、忠清道清州牧使、吏曹参議などを歴任し、1884年に従二品に昇進、都承旨、京畿道観察使となった。

1884年に甲申事変では高宗に近侍し、軍と連絡を取った。1885年から忠清道観察使、吏曹戸曹の参判、議政府有司堂上、協弁(次席)内務府事などを歴任し、1892年に正二品に昇進、吏曹判書、宣恵庁堂上を歴任した。1895年の甲午改革後は、度支部・軍部・内部の各大臣、議政府賛政などを歴任し、1897年に従一品に昇進、1902年から翌年までは元帥府軍務摠長に就任し、長らく政権の中枢にあった。1905年には議政府賛政大臣として、日本の侵略に抵抗したが、辞職した。

朋党政治においては老論派に属した。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  沈相薫のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「沈相薫」の関連用語

沈相薫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



沈相薫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの沈相薫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS