江馬輝経とは? わかりやすく解説

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江馬輝経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 13:45 UTC 版)

 
江馬輝経
時代 平安時代 - 鎌倉時代
生誕 日本 不明
死没 承久3年(1221年
改名 北条時経→江馬輝経
墓所 圓城寺岐阜県飛騨市
幕府 鎌倉幕府 御家人
主君 北条時政義時
氏族 江馬氏
父母 実父:不明(平経盛?)
養父:北条時政
江馬朝方
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江馬 輝経(えま てるつね、生年不詳 - 承久3年(1221年))は日本武将北条氏に仕えたが、自ら「江馬」と名乗り、江馬氏の祖となる。通称は小四郎(こしろう)。

生涯

平安時代に生まれたとされる。その後、北条時政に母と共に養子として出される[1]。しかし時政の死後、その子である北条義時に嫌われたため[2]飛騨に転封し、その地方と土地の名を取り入れて、名を江馬小四郎と名乗ったことから、1220年承久2年)江馬氏の祖となる[異説あり](その後、義時も江馬小四郎と名乗っている)。1221年に死去。墓所は圓城寺。輝経自身が志願したと思われる[3]。その後、子の江馬朝方が自らの子である時信を僧として入寺させて再興し、本覚寺と名付けた寺がある。

肖像画

江馬輝経の肖像画は現在圓城寺の寺宝となっている。鎌倉時代に作成された物だと思われ、隣には飛騨高原諏訪城主の江馬輝盛の肖像画がある。

脚注

  1. ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “江馬輝経とは”. コトバンク. 2022年4月11日閲覧。
  2. ^ 飛越のかけはし 江馬氏の略年表”. seadog.gifu.shotoku.ac.jp. 2022年4月11日閲覧。
  3. ^ 飛騨國 江馬輝経墓所”. oshiromeguri.web.fc2.com. 2022年4月11日閲覧。

参考文献

  • 柴田忠太郎『飛騨と江馬氏:高原史蹟』江馬史蹟保存会、1935年。doi:10.11501/1125061 



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