江忠源の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 14:53 UTC 版)
1853年6月、江忠源は安徽巡撫となった。10月、太平天国軍は南昌の包囲を解いて西征を始めた。江忠源は湖北省の田家鎮で戦ったが、敗北し武漢に退いた。12月、廬州の守りについたが、胡以晃率いる太平天国軍に包囲された。兵糧が欠乏し、援軍は来ず、1854年1月14日に城は陥落し、江忠源は投水自殺した。
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