民国から現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 08:00 UTC 版)
中華民国建国後も滕県の範囲は基本的に変わっていない。日中戦争の徐州会戦では緒戦で滕州攻略戦(滕州保衛戦)が行われたが、この地を守っていた四川省の川軍はわずか2000人ほどで日本軍と戦い貴重な時間を稼いだものの大打撃を受け、師団長の王銘章は戦死した。国民党軍の前線における戦死者としては張自忠に次ぐ高位の軍人であった。 中華人民共和国建国後の滕県は済寧専区に属した。1979年に棗荘市の管轄下に変わり、1988年3月7日に国務省の批准により省直轄の滕州市が誕生し、滕県は廃止された。
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