氏家龍渓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 00:55 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動氏家 龍渓(うじいえ りゅうけい、本名:剛太夫、安永4年(1775年) - 天保5年10月24日(1834年11月24日))は、日本の南画家、庄内藩士、琴の名手。清、天爵とも。
略歴
- 1775年(安永4年) - 誕生
- 1805年(文化2年) - 庄内藩校致道館司書
- 1811年(文化8年) - 致道館版『易経』の版下を書く。
- 1814年(文化11年) - 同職退職
- 中間頭、大納戸などを経る。
- 1831年(天保2年) - 中風で職を辞任
- 1834年(天保5年)11月24日 - 死去する。鶴岡の禅竜寺に墓がある。
作品
- 『山水図』 致道博物館蔵
遺品
- 七弦琴 - 荘内神社蔵
関係者
- 師:常南元政
- 弟子:石井子龍
参考文献
- 『庄内人名辞典』 大瀬欽哉(代表編者) 致道博物館内「庄内人名辞典刊行会」(発行)
氏家 龍渓
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天保5年10月24日(1834年11月24日))は、日本の南画家、庄内藩士、琴の名手。清、天爵とも。
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