横山隆貴とは? わかりやすく解説

横山隆貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/10 16:22 UTC 版)

横山 隆貴(よこやま たかおき、文政10年11月13日1827年12月30日) - 安政5年4月20日1858年6月1日))は武士加賀藩加賀八家横山家の嫡男。加賀八家横山家第12代当主(名目上)[1]

父は加賀藩年寄横山隆章。子は横山隆平通称は三郎、求馬亮、大膳。

人物

加賀国金沢(現・石川県金沢市)出身。文政10年(1827年)11月13日、加賀藩年寄横山隆章の長男として生まれる。天保15年(1844年)、新知2500石を与えられ、藩主前田斉泰に近侍した。安政5年(1858年)4月20日、父に先立って死去した。墓所は石川県金沢市野田山墓地。嫡男の隆平は隆章の家督を嫡孫承祖し、明治33年(1900年)に男爵に叙され華族となっている。隆興は隆平と共に銅山経営で財を成した。

脚注

  1. ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号

参考文献

  • 「幕末維新人名事典」
  • 「加能郷土辞彙」




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横山隆貴」の関連用語

横山隆貴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横山隆貴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの横山隆貴 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS