榎本次郎右衛門 (1876年生)とは? わかりやすく解説

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榎本次郎右衛門 (1876年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 13:40 UTC 版)

15代 榎本次郎右衛門

15代 榎本 次郎右衛門(えのもと じろううえもん、1876年明治9年)4月13日[1] - 1926年大正15年)5月11日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

先代榎本次郎右衛門の子として千葉県相馬郡布佐村東葛飾郡布佐町、我孫子町を経て現在の我孫子市)に生まれる[1]。小学校、中学校を経て、東京法学院を卒業し、家業の農業を手伝う[1]。布佐町会議員を経て、同町長を4年務め、東葛飾郡会議員、千葉県会議員などを歴任する[1]。ほか、会社、銀行の重役を務めた[2]

1915年大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では千葉県郡部から憲政会所属で出馬し当選[2]。1期務めた[2]

親族

脚注

参考文献




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