榎本次郎右衛門_(1840年生)とは? わかりやすく解説

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榎本次郎右衛門 (1840年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 13:42 UTC 版)

14代 榎本 次郎右衛門(えのもと じろううえもん、1840年2月6日(天保11年1月4日[1])- 1913年大正2年)9月15日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

下総国相馬郡布川村(茨城県北相馬郡布川村、布川町を経て、現在の利根町)に生まれる[3]。農業を営む傍ら、東葛飾郡布佐村会議員、布佐町長、学務委員、所得税調査委員などを歴任する[2]

1904年(明治37年)3月の第9回衆議院議員総選挙では千葉県郡部から憲政本党所属で出馬し当選[3][2]。1期務めた[3][2]

親族

脚注

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第二十回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1904年、9頁。
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 81頁.
  3. ^ a b c 衆議院事務局 1940, 78頁.

参考文献




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