稲田植乗とは? わかりやすく解説

稲田植乗

(植田稙乗 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/19 02:42 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search

稲田 植乗(いなだ たねのり、文政8年3月20日[1]1825年5月7日) - 万延元年8月14日[1]1860年9月28日))は、徳島藩筆頭家老。淡路洲本城代稲田家14代当主。

概要

子は稲田邦植、稲田邦衛、ヤウ(酒井忠匡室〔離縁〕、北海道大学初代総長佐藤昌介[1])。通称九郎兵衛。

生涯

文政8年(1825年)徳島藩蜂須賀家家老稲田芸植の子として生まれる。弘化4年(1847年)父芸植の死去により家督相続。藩主蜂須賀斉裕に仕え、洲本城代を務める。嘉永7年(1854年)藩命で海防の為に由良、岩屋に砲台を建設する。安政年間(1854年 - 1859年)に南薫風、尾方長栄、工藤剛太郎等家臣を京都に派遣して情勢を探索させた。彼ら稲田家家臣は勤皇の志士と交流し、稲田家は幕末に動皇派として独自の行動をとることとなる。万延元年(1860年)8月14日死去。享年36。子の小八郎(邦植)は幼いため従兄弟の植誠が養子となって家督を相続した。

脚注

  1. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』上巻、178-179頁。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「稲田植乗」の関連用語

1
38% |||||

稲田植乗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



稲田植乗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの稲田植乗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS